お歳暮は義務?面倒?由来を知れば、そんな気持ちは無くなります!

毎年この季節になると気になるのがお歳暮です。

この一年、お世話になった感謝の気持ちを相手に贈るのがお歳暮ですが、気を遣う事も多くて、面倒に感じる事もありますよね。

でも、お歳暮は本当に義務的で面倒な事なのでしょうか。私にはそうとは思えません。

相手のための義務、それだけの理由だったら、お歳暮と言う習慣はこんなに長く続いていないと思うのです。

お歳暮の由来を知れば、お歳暮の本来の意味を理解できて、違った気持ちになるかも知れません。



今回はお歳暮の由来について解説したいと思います。


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お歳暮は神様へのお供え物だった!

お歳暮はそもそも、お正月に行われる御霊祭りのお供え物でした。

御霊祭りはお正月に先祖の霊を迎えるために行われます。お正月に間に合わせるために、暮れの内にお供え物を用意する必要があったのです。

お嫁に行ったなどの事情で家を出た人たちが、その年の暮れにお供え物を届けに実家に帰りました。これがお歳暮の始まりと言われています。


先祖の霊は神様になる

仏教が一般的になる前の日本では、先祖の霊は時間が経つと神様になって、家や家の周りの地域を守ってくれると信じられていました。

だからお正月に帰ってくる先祖の霊にお供え物を捧げる事で、自分たちを守ってもらおうとしていたのです。


自分が幸せになるために、お供え物を捧げていたのです。


娯楽などなかった昔の日本で、神様の酒の肴になるお供え物を持って、実家に帰ってお正月を迎えるのは、きっと楽しかっただろうと想像できます。お歳暮は楽しい事だったんですね。



お供え物だった時の名残とは

今でもお歳暮を贈る際に、のし紙をかけます。のし紙には「のし」が印刷されていますが(のし紙の右上の細長い六角形のもの)、あれはもともとアワビを薄く伸ばしたものでした。


アワビが縁起物だからと言われていますが、「のし」その物が神様に捧げるお供え物だったのです。それがいつしか簡略化されて、紙製となり、今はのし紙に印刷されているのです。


お歳暮で悩むのは、理由がわからないから?

お歳暮が神様へのお供え物だった名残が今でも残っているのは、中々興味深いです。


神様へのお供え物だったとわかれば、「のし」が付いているのも、当然ですね。わけもわからず、礼儀だから、しきたりだからとするのではなく、きちんと由来をわかっていればお歳暮を差し上げる時に、興味が出て来て面倒に思う事も少なくなるのではないでしょうか。


もし、お歳暮のマナーで注意を受ける事があっても『これは神様に関わる事なんだ。』と思っていれば、素直な気持ちで聞き入れる事ができるかも知れません。神様の前では、私たちは小さな存在ですから…



お歳暮は自分のためにもなる!

今は会社の上司、結婚した時の仲人さん、義理の両親や親戚などにお歳暮を贈る人が多いでしょう。

この一年の感謝の気持ちを込めて贈ると言う事は、次の年もまたよろしくお願いしますと言う気持ちがこもっているわけです。人間関係を上手く運ぶために、お歳暮を差し上げているのです。


私たちが生きていく上で人間関係は重要です。これが上手く行っていれば、ほとんどのトラブルは回避できます。つまり幸せに暮らせます。お歳暮は、私たちが幸せに生きていくために、差し上げているのです。お歳暮の本質は、御霊祭りにお供え物を持って実家に帰っていた大昔と、変わらないのかも知れません。

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お歳暮の由来を知って、気持ちを新たにしたい

お歳暮の由来は『御霊祭りのお供え物』でした。神となった先祖の霊に、私たちの幸せを願うためのものでした。こんな事を知ると、少し厳かな気持ちになりますね。


そしてお供え物だった名残が今でも、お歳暮に残されていますから、差し上げる私たちも、お歳暮を神様に差し上げる気持ちを忘れずにいたいと思います。相手の幸せを願ってお歳暮を差し上げれば、回り回って自分自身に返ってくるかも知れません。


こんな事を考えながら、今年のお歳暮は新鮮な気持ちになって、贈ってみてはいかがでしょうか。

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