銀閣寺はなぜ銀じゃないのか解説!義政政権が左右した?

銀閣寺は、京都の東山を代表するお寺としても有名ですが、やはり一番に思うことが「銀閣寺はなぜ銀泊が貼られていないの?」という素朴な疑問が浮かんできます。

金閣寺は、金ぴかに輝いているのに、銀閣寺はそうじゃなかったと少し残念な感想を抱く人も少なくないと思います。

実際の銀閣(観音堂)は、金閣寺に比べると、少し小さく感じる印象ですし、銀が貼られたという痕跡は微塵も感じられません。


どうやら、銀閣の板壁は漆がしっかりと塗られているようです。

ちなみに、金閣寺も金箔の下地として漆が塗られているのですよ。

今回は、なぜ銀閣寺は銀じゃないのか?それらの理由などを探ってみようと思います!

ぜひ、最後までお付き合いください。



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銀閣寺がなぜ銀じゃないかは、義政の性格とタイミングだった?

銀閣寺には、確かに銀が貼られていませんね。

金閣寺があれだけの輝きを放っているのに、銀閣寺は銀どころか想像していたものと違ったと感じたことを、今でもよく覚えています。

では、銀閣寺はなぜ銀じゃないのか?ということですが、足利義政の性格が大きく左右されたのではないかということです。

足利八代将軍義政は、政治や経済などの分野よりも、芸や趣味の分野で力を発揮したことから、義政の性格の性格を考えてみましょう。

アウトドア派というよりインドア派、運動部というより文化部、政治家というより芸術家というように、将軍職としては少し物足りなさを感じてしまいます。

つまり、義政は性格的には内気なタイプだったのか否か、定かではありませんが興味のないものには、力など注ぐはずもなく、義政は自分の趣味を優先することで、政治力には欠けていたのです。

もちろん、政治力のない義政に力添えする大名などどこにも存在しませんよね。

義政は、金閣寺と同じように銀閣寺も銀を施す予定でしたが、「財政難」ということで、銀を貼る夢ははかなくも幕をとじました。

この「財政難」は義政の趣味が行き過ぎた性格や、政治力のなさだけが引き起こしたわけではありません。

それは、応仁の乱などの戦い直後に、銀閣寺が建てられたことが「財政難」の理由として挙げられます。

戦争が起きると、世の中の治安はもちろん、経済は狂ってしまうことは当たり前ですよね。

そんなタイミングのなかで銀閣が建てられるのであれば、銀などの高価なものなど「経済困難」「入手困難」の困難だらけじゃない!?

「そら、義政さん、銀は無理でんな〜」と言わざるを得ませんね……。

その他にも、義政はゆっくりと余生を過ごしたい!という理由のためだけに銀閣寺を建てたということで、銀を貼る予定は初めからなかったという説もあります。

この答えは、足利義政と関係者しか知りえないことなので、本当の理由はどうだったのか?など考えると、とても面白いですね。



銀閣寺の正式な名前は?

金閣寺に正式名があるように、銀閣寺にもきちんと正式名があるのですよ!

銀閣寺の正式名は「慈照寺」といい、義政の死後名付けられました。

ちなみに、金閣寺は「鹿苑寺」といいましたね。

実はこの銀閣寺の名前は、室町時代にはまだ付けられていなかったのです!

何と江戸時代に「銀閣寺」と名付けられたということで、これは少し意外でした。

では、ファーストネームは?というと、義政は「東山殿」という名前で東山の麓に造園をはじめたことから、東求堂や本堂を建てていきました。

皆さんが一番注目される建物が銀閣ですが、別名「観音堂」といわれます。

つまり、室町時代は「東山殿の観音堂」などと呼ばれていたのでしょうか?

また、「銀閣寺」と呼ばれるようになった由来は、白砂で作られた月向台が月の反射を受けて、銀閣が銀色に見えたことから「銀閣寺」と呼ばれるようになったということです。

銀閣寺を参拝すると、銀閣の前にプリン型のような砂のオブジェを目にします。

これが、写真などでもおなじみの向月台です。

向月台も江戸時代から作られたということから、「銀閣が向月台から反射した光によって名付けられた」とひも解くと、名前の由来も納得いくような…。

この銀閣を中心にすべてを総称して「銀閣寺」と名付けられました。



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銀閣寺はなぜ銀じゃない?まとめ

銀閣寺がなぜ銀じゃないのか?は、義政の時代は「経済難」であったことや、戦乱直後の不安定な世の中だったことが理由ではありますが、義政はどんな思いだったのか?

いろいろと想像してみたりすると楽しいですよ。

義政になったつもりで、銀閣寺はなぜ銀じゃなかったのか?などセッションしてみると、当時の義政の気持ちに近づけるかもしれません。

銀閣寺の名前の由来も、ずいぶん後に付けられましたが、いつの時代も美しく素晴らしいものとして伝えられて来たのではないでしょうか?

これからも大切にしていきたい、世界遺産のひとつとして……。



最後までお付き合いいただきありがとうございました。