延暦寺の世界遺産登録はいつされた?登録時期と理由についてご紹介!
延暦寺は滋賀県と京都府の県境にある天台宗の総本山です。比叡山と呼ばれる標高848mの山全域を境内とした広いお寺です。平安時代の僧侶・最澄が開き、その後、多くの有名な僧が輩出されました。このことから1200年以上の歴史を持つ延暦寺は日本仏教の母山として知られています。
(※写真はイメージです)
多くの僧を輩出し、1200年以上の歴史を持つ比叡山延暦寺。延暦寺の中にあるお堂もいくつかが国宝や重要文化財に指定されています。そして比叡山延暦寺はユネスコ世界文化遺産にも登録されており、世界的にも知られるお寺となりました。今回は比叡山延暦寺がいつ世界遺産に登録されたのか、時期とその理由についてご紹介します。
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焼き討ちにあった延暦寺は天正17年(1589年)なんとか復興することができ、焼失していた根本中堂も新しく建てられ復活しました。1200年以上前に最澄が開いた比叡山延暦寺は多くの僧を輩出したものの、僧兵を抱え、その後、織田信長によって焼き討ちにされるという歴史がありました。簡単に説明しましたが、もっと多くの深い歴史があります。
他にも、貧困をなくす活動であったり、教育における男女格差の解消問題に取り組んだり危機言語の保護活動なども行っています。
登録には世界の文化遺産の保存活動を行う国際的な組織、ICOMOSが調査を行い、その後、世界遺産委員会で審議が行われます。しっかりその歴史や遺跡などが調査され登録されることとなるのです。
またその後の日本の建築や都市計画などにも大きな影響を与えたことから、古都京都の文化財はユネスコ世界文化遺産に登録されました。
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多くの僧を輩出し、1200年以上の歴史を持つ比叡山延暦寺。延暦寺の中にあるお堂もいくつかが国宝や重要文化財に指定されています。そして比叡山延暦寺はユネスコ世界文化遺産にも登録されており、世界的にも知られるお寺となりました。今回は比叡山延暦寺がいつ世界遺産に登録されたのか、時期とその理由についてご紹介します。
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Contents
比叡山延暦寺とは何か?簡単にご紹介
比叡山延暦寺とは平安時代の僧侶・最澄が比叡山に開いたお寺です。最澄が天台宗を開く
最澄の本名は三津首広野といい、現在の滋賀県坂本にあるお寺で誕生しました。15歳から出家し最澄と名乗り始めたとされ、20歳の頃に奈良の東大寺で受戒し、正式に僧侶となりました。その後、最澄は延暦23年(804年)唐へと渡り、そこで天台教学や密教、禅などを学びます。延暦25年(806年)日本に帰国した最澄は中国を発祥とした天台宗を比叡山で開くこととなりました。密教が発展、多くの僧を輩出
最澄が開いた延暦寺では多くの僧が修行に励み、ここで密教が発展していくこととなります。延暦寺で修行に励んだ多くの僧の中には、後に名を残すこととなる良源や法然、栄西、日蓮などがおり、多くの有名な僧を輩出したことから日本仏教の母山といわれるようになりました。武装化した延暦寺
多くの僧を輩出した延暦寺でしたが、正暦4年(993年)頃から延暦寺内で派閥争いが勃発。これを機に僧が武装するようになります。その後も派閥争いがあり、武装する僧は増え続け、ついに延暦寺は強い僧兵(武装した僧)を持つお寺となったのです。織田信長によって焼き討ちにされる
武装した延暦寺は戦国時代にはいっても強さを極め続け、ついには権力と財力までを持つ存在となりました。天下統一を目指していたあの織田信長も恐れる存在となり、ついに織田信長と延暦寺は対立すうようになります。元亀元年(1570年)姉川の戦い後、織田信長との対立は深まり、ついに延暦寺は織田信長によって焼き討ちに合うのでした。焼き討ちにあった延暦寺は天正17年(1589年)なんとか復興することができ、焼失していた根本中堂も新しく建てられ復活しました。1200年以上前に最澄が開いた比叡山延暦寺は多くの僧を輩出したものの、僧兵を抱え、その後、織田信長によって焼き討ちにされるという歴史がありました。簡単に説明しましたが、もっと多くの深い歴史があります。
延暦寺は世界遺産にいつ登録された?時期は平成6年(1994年)
平成6年(1994年)比叡山延暦寺は古都京都の文化財の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。ユネスコの主な活動内容
国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は①万人のための基礎的な教育②さまざまな文化の保護と文明間の対話の促進を目標に活動しています。この目標に基づいて世界各地で義務教育の普及活動や文字の読み書きができる人々を増やすなどの活動をしています。また貴重な自然や文化財、景観などを全人類が共有すべきものとして世界遺産の保護活動と登録も行っています。他にも、貧困をなくす活動であったり、教育における男女格差の解消問題に取り組んだり危機言語の保護活動なども行っています。
ユネスコ世界文化遺産とは
ユネスコは景観や文化財、自然などを人類が共有すべきものとして保護活動や世界遺産登録活動を行っています。ユネスコが定める世界遺産は文化遺産、自然遺産、複合遺産の3つに分類されています。そのうちの文化遺産も記念物、建造物群、遺跡の3つに細かく分けられ登録が行われます。登録には世界の文化遺産の保存活動を行う国際的な組織、ICOMOSが調査を行い、その後、世界遺産委員会で審議が行われます。しっかりその歴史や遺跡などが調査され登録されることとなるのです。
古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録される
平成6年(1994年)比叡山延暦寺は古都京都の文化財の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。ここで登録されたものは京都、滋賀の文化財合わせて17件です。今回の登録は日本にとって5件目の登録となりました。古都京都の文化財として登録された遺産
今回登録された遺産は京都、滋賀合わせて17件です。1・上賀茂神社
2・下賀茂神社
3・東寺
4・清水寺
5・延暦寺
6・醍醐寺
7・仁和寺
8・平等院
9・宇治上神社
10・高山寺
11・西芳寺
12・天龍寺
13・鹿苑寺
14・慈照寺
15・龍安寺
16・西本願寺
17・二条城
2・下賀茂神社
3・東寺
4・清水寺
5・延暦寺
6・醍醐寺
7・仁和寺
8・平等院
9・宇治上神社
10・高山寺
11・西芳寺
12・天龍寺
13・鹿苑寺
14・慈照寺
15・龍安寺
16・西本願寺
17・二条城
延暦寺が世界遺産登録された理由
8世紀から17世紀の間、京都は宗教建造物やそうではない非宗教建造物、また庭園の設計など発展の場となっていました。このような発展は日本の文化に大きな影響を与え、特に庭園の設計は19世紀以降、世界にもその技術が広がってためとされています。またその後の日本の建築や都市計画などにも大きな影響を与えたことから、古都京都の文化財はユネスコ世界文化遺産に登録されました。
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