華厳の滝はどうやってできたのか?華厳の滝の歴史や名前の由来も紹介!

日本三名瀑のひとつである華厳の滝はいつできたのでしょうか。

(※写真はイメージです)

約2万年前にできたとされる華厳の滝はどうやって現在の形になったのか、なぜ華厳の滝という名がついたのか。約1200年前に華厳の滝を見つけた勝道上人は、日光でどんなことをして日光開山の祖になったのでしょうか。

この記事を読み進めていただくと、華厳の滝がどうやってできたのか、そして華厳の滝の名前の由来と歴史も紹介しますので、ぜひ最後までお付き合いください。



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華厳の滝はいつできたのか?

高さ97メートル、幅約7メートルの巨大な華厳の滝はいつ、どうやってできたのでしょうか。華厳の滝は奥日光にある滝で、この地域を流れていた古大谷川を男体山の火山活動がせき止めて奥日光の地形を形成しました。男体山は約3万年前に誕生し、約2万3千年前から1万9千年の間に火山活動を繰り返し大量の溶岩流や火砕流を発生させ、中禅寺湖を形成しました。

中禅寺湖から地下へ流れる水やこの地に降った雨が溶岩石に浸水し、地下水となって花崗岩と安山岩の隙間から水が湧き出してできたのが華厳の滝です。華厳の滝の滝壁は浸食と崩落を繰り返して約800メートルも後退して中禅寺湖に近づき、現在の華厳の滝になったと考えられています。

現在でも華厳の滝の滝壁は崩落していて、崩落を防ぐためにアンカーを打ち込みワイヤーで補強して崩落を防ぎ、華厳の滝の景観が守られています。

華厳の滝と勝道上人

華厳の滝の歴史で重要な人物である勝道上人は、20歳のときに出家し下野薬師に入門して華厳経を学び、南湖に神宮寺を建て日光開山の基礎を築きました。

栃木県都賀郡に華厳という仏寺を建てて民衆に説法していた勝道上人は、男体山に767年4月、781年4月と2度の登頂に失敗し、782年3月に3度目の登頂を試み成功し、その時に華厳の滝を発見したと言われています。807年の干ばつの際には、男体山山頂の江尻滝で祈祷するとたちまち雨が降り、江尻滝がのちに華厳滝と呼ばれるようになったとも言われています。

華厳の滝の名前の由来

華厳の滝の名前の由来は華厳寺説と景観説の二つの説があります。華厳寺説は、仏教の経典である華厳経から名付けられたという説や、真済が820年に建てた法華密厳寺が華厳寺だとされ、近くにあったことから華厳滝と誰かが呼ぶようになった、と言う説です。

景観説は二つの書物の中に華厳の滝の景色が書かれていることから名付けられたとされています。1640年に完成した東照大権現仮名縁起では華厳滝と言う霊地の水がキラキラと朝の太陽にきらめく姿が華を表しているとされる説、1696年に完成した日光山堂社建立記では滝の岩壁を華やかなツツジが咲き、華麗に滝を彩っているかのようだとその名がついたのではないかといわれています。



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華厳の滝はどうやってできたのか?華厳の滝の歴史や名前の由来も紹介!【まとめ】

華厳の滝がどうやってできたのかは、男体山の噴火により流れ出た溶岩が古大谷川をせき止め中禅寺湖や戦場ヶ原を形成し、湖の水や雨が浸水して溶岩石からあふれ出て十ニの滝となり、滝壁が侵食によって崩れ落ちていき大きな落差が生まれ、現在の壮大な滝ができたとされています。

華厳の滝の歴史は古く、約1200年も前に勝道上人が3度目の男体山登頂に挑戦し、その際に見つけたとされ、勝道上人が雨乞いの祈祷をした江尻滝が華厳の滝と呼ばれるようになったとされています。

華厳の滝と言う名の由来は、仏教経からの華厳経から名付けられたという説や華厳寺が近くにあったことから名付けられた華厳寺説があります。1640年の東照大権現仮名縁起と1696年の日光山堂社建立記に華やかな滝の情景が書かれて、その名がついたのではないかといわれている景観説があります。以上、華厳の滝がどうやってできたのか、華厳の滝の歴史や名前の由来の紹介をしました。