伊勢神宮って縁切りのご利益があるの?夫婦やカップルでいけば別れてしまう?

女性の神様が祀られている神社は、しばしば縁切りに効果があるといわれます。

理由は、「嫉妬」です。


また、伊勢神宮周辺にはかつて遊郭があった関係で、夫婦関係にひびが入ることもあったようです。

果たして、伊勢神宮は縁切りに効果のある神社なのでしょうか。



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伊勢神宮は縁切りの御利益がある?なんの神様?

日本屈指のパワースポットである伊勢神宮には、外宮と内宮という2か所に分かれて女性の神様が祀られています。

二柱の神様は、相互に師従のような持ちつ持たれつの関係があります。



*外宮の神様

「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」といい、トヨウケビメともよばれています。

衣食住や産業の神様で、もとは丹波国の出身です。

内宮に祭られている天照大神の食事を司る役割をしています。

現在も、毎日のように朝夕二回にわたり、忌火屋殿(いみびやでん)という調理場で作られた神饌(しんせん)と呼ばれる供物が捧げられています。

また、この儀礼の名前を日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)といいます。


*内宮の神様

内宮は皇大神宮(こうだいじんぐう)とも呼ばれ、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を祀っています。

天照大神は天皇家の祖先神で、神々の住む「高天原(たかまがはら)」を司る最高神とされています。

また、天照大神の意向により、「自分を崇める前に豊受大御神を崇めるように」という言い伝えから、外宮→内宮の順に回ることが慣例とされています。

何のお願いをする神様

伊勢神宮の本殿では、内宮も外宮も「国の繁栄」や「今年の五穀豊穣」などを願うための神社です。理由は、主な参拝対象が「天照大神のご神体の八咫鏡」であることに由来します。

来られたこと自体が幸運という考えからおみくじはありません。そもそも天皇以外の者が個別の供物を行うことを禁じているため、お賽銭箱もありません。

個人のお願い事はそれぞれの敷地内にある「別宮」で行うとよいとされています。

それぞれの別宮の名前は「荒祭宮(あらまつりのみや:内宮)」「多賀宮(たがのみや:外宮)」といいます。



外宮と内宮に分かれた理由

伊勢神宮は、三種の神器の一つで天照大神のご神体、八咫鏡(やたのかがみ)の力を天皇が恐れたことがきっかけで建立されました。

建立は11代目垂仁天皇の娘である倭姫(やまとひめ)によるものです。

3世紀半ば~後半あたりに行われました。天皇の命で宮中から近隣の地域(岡山~愛知のあたり)を母であった皇后と娘の倭姫で実に90年もの期間をかけて探し当てたといわれています。

5世紀前半のころ、伊勢神宮が建立から200年の後、21代目雄略天皇の夢枕に立った天照大神の神託により外宮が建てられました。

その内容は、「一人では安らかに食事ができないため、丹波国のトヨウケビメを近くに呼び寄せるように」とのことでした。

内宮建立の地に選ばれた理由は明らかになっていませんが、パワーが強すぎるがゆえに天皇自身や国民から難を逃れて敬うために選ばれたことが考えられます。

外宮建立が決まった理由が「天照大神から『一人で食事したくない』というお告げがあったから」
というもので、「食」や「守護」にご縁のある神社であることがうかがえます。

また、天照大神は寂しがりやの面があることも見て取れます。長きにわたり、国のために祈り続けた神様であるため、悪い方向にとらえなければよいご利益がありそうです。

また、神社は神聖な場所で、身や場所を「清める」習慣があります。何千年にもわたって最高神として清められた場所では強い「浄化」のパワーがあるといわれます。

このような理由で、ドロドロした悪縁を「浄化する」作用はあるといえます。




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伊勢神宮は縁切りの御利益がある?【まとめ】

伊勢神宮は天皇家の祖先である最高神の「天照大神」とその食事を司る「豊受御大神」が内宮と外宮に分かれて祀られています。

各本殿が建立された当初の目的は、天皇が国の繁栄を人知れずに祈願するためです。

そもそも個人のお願いを聞くための神社ではなく、すべての神を司る最高神の位置づけの神様です。

行く機会があれば、本殿では国の繁栄を、別宮で個人のお願い事をするとよいでしょう。

国でも組織においても繁栄とは、「人」や「縁」、「平和」あってのものです。

一人でも、どのような人と行くことになっても、前向きな気持ちで参拝されることをおすすめします。

個人で参拝する別宮では「参拝者の意思を後おし」するご利益があります。

また、神社はお清めのような「浄化」を大切にする信仰です。

もし、行ってみて縁切りのようなことがあったとしたら、「悪縁の浄化」「何かの意志を進めるために、前向きな方向に整った」「次に進むための縁だった」と考えるとよいのではないのでしょうか。