プロ野球の自由契約とは何?FAとの違いなどについて解説!

毎年多くの新人選手が華やかに入団するプロ野球の世界ですが、その一方で、逆にチームを退団する選手もいます。

自ら引退を決める選手もいれば、球団から戦力外通告を受け、泣く泣く退団する選手もいます。

チームを離れる場合、選手は自由契約・任意引退のどちらかで退団することになります。


シーズンオフになると、これらの言葉が頻繁に報じられますね。

自由契約と任意引退、この2つの違いをご存じでしょうか?

今回は、特に自由契約とは、という点について、よく混同されるFAとの違いなども含め解説します。



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プロ野球の自由契約とは退団後も自由に他球団と入団交渉できる

自由契約とは、選手と球団との契約が終了、または解除され、選手が他の球団と新たな契約を結ぶことができる状態を指します。

プロ野球選手は基本的には1年契約の個人事業主です。

もちろん実績を残すなど、球団にとっての必要性の度合いによって、複数年の契約を結ぶこともあります。

これらの契約期間が終了する際、新たに翌年以降の契約を結びます。

しかし一方で、翌年の契約は結ばれない選手もいます。

この選手は自由契約となり、他の球団と自由に入団交渉ができる状態となります。

その言葉からは「どことでも自由に入団交渉できる契約」というポジティブな印象も感じますが、一般的には「戦力外」「構想外」とも言われます。

選手にとっては選手生命の終わりも覚悟しなければならない、つらい宣告となりますね。



退団後も選手を保有する権利が元の球団にある任意引退

もう一つの任意引退とは、退団後もその選手の保有権は球団にある、というものです。

自由契約とは異なり、球団の許可がなければ他の球団と自由に契約ができないこととなります。

また、引退後に再び現役に復帰する際は、元の球団に戻らなければならないなどの制約もかかります。

長くチームに貢献したベテラン選手が自分の意志で引退する際などにこの任意引退となるケースが多いです。

引退を宣言し、惜しまれつつ退団した選手が、突如引退撤回して他球団に移ることになったら、元の球団に不利益が生じますよね。

このように、すべてではありませんが、自由契約とは球団の意思・任意引退とは選手の意思が強く反映されます。



自由契約とは異なり、実績のある選手の意思が最大限に反映されるFA

自由契約と似たような退団方法として、FA(フリーエージェント)という制度があります。

日本のプロ野球では、規定で決められた年数や実績など一定の条件をクリアすれば、FA対象選手となります。

必要な手続きを踏むことで、どの球団とも自由に入団交渉する権利を得ます。

選手はこれまでの実績や自身の能力などを武器に、より条件の良い球団と入団交渉を行うことができます。

このように、FA移籍ができる選手は条件を満たす一部の選手のみとなります。

FAはあくまで本人の意思が最大限に発揮されることとなり、球団の意思が反映される自由契約と異なるところです。

FA宣言する選手は、球団にとってはその後も必要な戦力である場合が多く、条件面など残留に向けた交渉を行うことがほとんどです。

一方で、自由契約となった選手は、同じく他球団と自由に入団交渉できるものの、年俸などの条件が大幅に下がってしまう傾向にあります。

同じ自由な契約でありながら、現実的にはこれほどの差が生じるものなのですね。



あえて自由契約を望んだ大打者、落合博満選手

自由契約は球団側の意思が反映されるとは言え、選手は退団後に活動を制約されることがないため、あえて選手側から自由契約での退団を望むケースもあります。

天才打者として輝かしい実績を誇る落合博満選手は、トレード・FA・自由契約と3つの退団を経験した希少な選手の一人です。

ロッテオリオンズで3度の三冠王を獲得した落合博満選手は、1986年シーズンオフに4対1の大型トレードで中日ドラゴンズに入団。

1993年には、この年に日本のプロ野球で初めて導入されたFA制度により読売ジャイアンツへ移籍します。

しかし、1996年シーズンオフに同じ一塁手の西武ライオンズ清原和博選手がFAで読売ジャイアンツへ入団すると、自ら球団に自由契約を申し入れ、他球団への移籍を望みました。

翌年からに日本ハムファイターズで活躍した落合博満選手でしたが、1998年で退団を決意し、引退します。

引退の際にも、「退団後も行動を制約されたくない」「必要としてくれる球団がもしあれば」という思いから、自由契約選手として退団しています。

このあたりが「オレ流」で一世風靡した落合博満選手らしいですね。



任意引退の新庄剛志選手はトライアウトを受けるため自由契約へ変更

現在北海道日本ハムファイターズの監督を務める新庄剛志監督は、現役時代、阪神タイガースからFAでメジャーリーグへ、その後日本復帰の際には北海道日本ハムファイターズへ入団します。

2006年にチームを日本一に導き、それを花道に、任意引退選手として現役引退します。

しかし2019年秋に突如現役復帰宣言をし、12球団合同トライアウトを受験、大きな話題となりました。

その際、球団に依頼し、任意引退を自由契約と変更する手続きをしています。

ちなみに、2009年からは制度が変更となり、任意引退となった選手も、3年を経過した時点で自動的に自由契約扱いとなりました。

新庄剛志選手はこの制度変更がなされる前の行動であったため、一度手続きをし直す必要がありました。

自由契約と任意引退のその後の活動の制約がわかりやすい事例となっていますね。



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プロ野球の自由契約とは?【まとめ】

今回は日本のプロ野球における自由契約とは何かについて解説しました。

かつては自由契約には「クビ」と同意議のネガティブなイメージがありました。

現在は選手個々の考え方も変わり、退団後に行動の制約を受けない自由契約をあえて選ぶ選手も増えています。

引退後にアマチュア野球の指導者を目指す選手も増えてきましたが、そのような場合にも自由契約での退団を希望することとなります。

プロ野球に限らず、スポーツ選手のセカンドキャリアについて、焦点があてられるようになりました。

そのように考えてみると、自由契約という制度は今の時代にマッチしやすい退団方法ではないでしょうか。