野村克也監督と古田敦也選手の師弟関係について、エピソードを集めてみた!

1990年代に4度の優勝・3度の日本一を果たすなど、ヤクルトスワローズの黄金時代を築いた名将・野村克也監督。

野村克也監督がヤクルトスワローズの新監督に迎え入れられた1990年、ドラフト2位で入団したのが、古田敦也捕手でした。

現役時代は大打者でありかつ生涯一捕手として、監督時代は独自の理論に基づいたID野球でプロ野球史にその名を馳せた野村克也監督。


そのID野球の申し子と呼ばれた古田敦也選手。

運命的な縁が、その後のヤクルトスワローズ・そして日本プロ野球の歴史を大きく変えました。

2人の師弟関係に関して、今でもエピソードは事欠きません。

今回は、ヤクルトスワローズ黄金時代にひときわ輝く野村克也監督と古田敦也選手との師弟関係について、いくつかのエピソードを紹介します。



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暗黒時代からの脱却。弱者の兵法を胸に野村克也新監督の誕生

ヤクルトスワローズは、1978年に広岡達朗監督のもと、球団創立初のセリーグ優勝と日本一に輝きます。

しかしその後チームは低迷し、1980年代は4度の最下位、シーズン勝率5割以上が1回だけ(1980年)という暗黒時代に突入します。

その中でも、広沢克己選手・池山隆寛選手・川崎憲二郎選手など、魅力的な若手選手が徐々に力をつけ始めます。

野村克也さんがヤクルトスワローズの監督として招聘されたのはそのタイミングでした。

チームに新しい血を入れること、チームのよどんだ空気を一掃すること、そして勝てる野球を目指すことが野村克也新監督に求められます。

野村克也監督の考えは「弱者の兵法」。

まさにこの時期のヤクルトスワローズに必要な考え方でした。



メガネ選手として1年目から活躍、ID野球の最盛期を担った

古田敦也選手は1989年のドラフト会議でヤクルトスワローズにドラフト2位で指名され入団します。

野村克也監督は当初、「眼鏡を掛けた捕手は大成しない」という野球界の風潮通り、メガネ捕手の古田敦也選手への評価は高くありませんでした。

しかし、当時の正捕手であった秦真司選手と入れ替わるように1年目のシーズン途中から正捕手を任されます。

その後は1年目からオールスター出場やゴールデングラブ賞の受賞、2年目には初タイトルとなる首位打者を獲得します。

時代の最先端を行く野村克也監督のID野球は、まさに古田敦也選手という稀代の名捕手を通して最盛期を迎えます。

1992年に14年ぶりのセリーグ優勝、翌1993年には日本一に登りつめました。



古田敦也選手がシーズンフル出場すれば優勝できるジンクスが生まれた!

古田敦也選手は、捕手という仕事柄、大小の怪我に見舞われることが度々ありました。

1990年代のヤクルトスワローズは4度のセリーグ優勝を果たします。

その中で、古田敦也選手がフル出場したシーズンは優勝し、怪我で離脱した期間があったシーズンは4位に終わるという、相関関係のわかりやすい現象がありました。

野村克也監督率いるヤクルトスワローズにとって、古田敦也選手の存在がいかに勝敗に影響を及ぼすのかを示すエピソードですね。



野村克也監督と古田敦也選手のエピソード

実際に野村克也監督と古田敦也選手の普段の関係はどうだったのでしょうか。

試合中のベンチでは、古田敦也選手は必ず野村監督の前に座ります。

普段の野村克也監督のベンチでのボヤキなどをつぶさに聞き取り、野村克也監督の心理を読み解くこととが、古田敦也選手にとっては大切な勉強だったのではないでしょうか。

時には一つのプレーに対し、長時間説教されたこともありました。

1992年のオープン戦で、フェンスを気にしてファールフライを取り損ねた古田敦也選手に対し、激怒した野村克也監督が「慢心だ!」と捕手失格を言い渡します。

後日謝罪に訪れた古田敦也選手に対しても、正座させ、2時間ほど説教をされたそうです。

「謙虚さを忘れた奴にチームは任せられない」

その言葉をバネに奮起した古田敦也選手は、その年、見事に正捕手としてチームをセリーグ優勝に導きます。

一見厳しい姿勢ではありますが、野村克也監督にとっては、古田敦也選手への強い期待の証なのでしょうね。

古田敦也選手も、いまだに忘れることのできないエピソードと語っています。



古田敦也選手のパーソナリティが野村克也監督という存在にマッチした

野村克也監督は1998年にヤクルトスワローズ監督退任後、1999年から3年間阪神タイガース、さらに2006年から4年間楽天イーグルスで監督を務めます。

それぞれのチームで矢野輝弘捕手・嶋基宏捕手を一流捕手に育てるなどの手腕を見せましたが、いずれも優勝には届きませんでした。

やはり野村克也監督にとっても古田敦也選手という存在は、大きかったはずです。

野村克也監督の性格や考え方、ID野球をはじめとする独自理論は、誰でも理解し、マスターできるものではありません。

その点、古田敦也選手の、明晰な頭脳や能力だけではない、意地や性格も加味したパーソナリティが、野村克也監督という存在にマッチングしたのではないでしょうか。

まさに稀代の名・師弟だと思います。




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野村克也監督と古田敦也選手のエピソード【まとめ】

名監督野村克也監督と、名捕手古田敦也選手の師弟関係について、様々なエピソードを紹介しました。

師弟愛というのは、何もいつもベタベタして仲が良い関係を言うわけではありません。

古田敦也選手は、雑誌のインタビューで野村克也監督のことを「嫌いじゃないですよ」と、あえて遠回しな言い方をされていました。

日本一の名捕手と成りあがった後も、延々とボヤかれることも多かったようです。

しかし、野村克也監督という存在を誰よりも理解し、それが自分自身の存在価値となるまで昇華した古田敦也選手の生き方は、誰もが真似できることではありません。

野村克也監督も、古田敦也選手との出会いによって監督として一時代を築くことができました。

2019年に行われた、ヤクルトスワローズOB戦「スワローズドリームゲーム」で、足元の不自由な野村克也監督の体を支え、寄り添う古田敦也さんのあたたかい表情が印象的です。

「ヤクルトスワローズには足を向けて眠れません」

という野村克也監督の当日の言葉が全てを物語っていますね。

2人の師弟愛はこれから長きにわたり、語り続けられることでしょう。