古田敦也選手のメガネのブランドは?メガネにまつわる様々なエピソードを紹介!

ヤクルトスワローズの名捕手として一時代を築いた古田敦也選手。

捕手として、打線の核として、そして晩年には兼任監督としても、チームを引っ張ってきました。

今でもミスター・スワローズと言えば古田敦也選手の名前をあげるファンが多く、人気は衰えていません。

古田敦也選手を語るときに欠かせないのが、メガネとの関係です。


メガネ一つによってこれだけ人生を変えた人もいないのではないでしょうか。

ドラフト指名漏れや、恩師野村克也監督との関係など、メガネにまつわるエピソードは事欠きません。

これまでも様々なブランドのメガネを使用してきました。

今回は古田敦也選手とメガネの関係性や、使用しているブランドについて調べてみました。



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受験勉強で視力が低下。大学入学後から眼鏡を使用し始める

古田敦也選手は兵庫県川西市出身。

野球は小学校の頃から始め、高校は地元の兵庫県立川西明峰高校へ進学します。

当時は野球では無名の存在だったため、高校3年生の時には一般の生徒と同様受験勉強に励みます。

この受験勉強で、古田敦也選手の視力は0.5から0.1ほどまでに下がってしまいました。

大学受験では一般入試で関西大学商学部と立命館大学経済学部に合格。

当時の野球部中尾卓一監督に熱心に誘われ、立命館大学へ入学します。

校内で野球部の先輩に会った時に「目が悪くて気づきませんでした」では済まされないと、やむを得ずメガネを使用し始めます。

ちなみに、乱視の古田敦也選手には、ハードコンタクトレンズは目がゴロゴロし、どうしても合わなかったようです。

立命館大学時代は、3年生の時に大学を春秋連続優勝に導いたり、4年生の時には日米大学野球選手権大会の代表メンバーに選ばれるなど活躍しました。



メガネを巡って、再三にわたり揉めたドラフト指名

古田敦也選手は立命館大学での活躍により当然プロからも注目をされ、ドラフト指名の確約を得られるようになりました。

ところが、「古田の目は鳥目だ」という真偽不明の情報が流れたことが影響し、まさかのドラフト指名漏れとなってしまいます。

実際には、メガネをかけていることが指名を見送られた原因と言われています。

その悔しさをバネに、一般採用枠で入社したトヨタ自動車でも正捕手として活躍、ソウルオリンピックに出場し、銀メダルを獲得します。

1989年のドラフト会議でヤクルトスワローズからドラフト2位で指名を受け、念願のプロ入りを果たします。

このドラフト会議の席上、同時期にヤクルトスワローズの新監督に就任した野村克也監督と片岡宏雄スカウト部長の間で、古田敦也選手指名に対して直前まで揉めたようでした。

これに関しては双方の見解が異なります。

野村克也監督が大学出身でメガネをかけている捕手を拒否したという説。

メガネが要因で指名を躊躇した片岡宏雄スカウト部長に対し、野村克也監督が「メガネは関係ない」と言い放った説。

と、両極端です。

いずれにしても、メガネをかけていることがこれほどまでに一人の人生を左右することになるとは、もはや運命を感じます。



眼鏡を掛けた捕手は大成しない説をついに打ち破る。多くのメガネ選手の勇気に

プロ野球界に長く伝わるジンクス「眼鏡を掛けた捕手は大成しない」。

ヤクルトスワローズ入団1年目のキャンプは、そのジンクスを打ち崩すことが使命でした。

その実力やひたむきな努力が評価され、開幕当初はレギュラー捕手だった秦真司選手から正捕手の座を奪取しました。

その後は1年目からオールスターに出場、2年目には初タイトルとなる首位打者を獲得しベストナインに選ばれるなど、誰もが認める「メガネをかけた名捕手」に成長しました。

ヤクルトスワローズは、古田敦也選手の台頭とともに、1990年代4度のセリーグ優勝と3度の日本一となる黄金時代を迎えます。

2015年、野球殿堂入りの表彰を受けた際に、一番誇れる記録は?の問いに対し「メガネをかけてやってこれたこと」と答えています。

それほどまでに当時の野球界ではメガネはマイナス要素でした。

古田敦也選手の活躍によって、高校生を含め、メガネをかけた多くの野球選手に勇気を与え、「やった甲斐があった」と感慨深かったようです。



古田敦也のメガネのブランドは?


古田敦也選手が実際に使用しているメガネのブランドは、時代によって様々です。

ヤクルトスワローズ入団会見では、黒縁でレンズの大きいメガネを使用していました。

この風貌から、当時は「のび太君」のニックネームが流行りましたね。

その後はフレームを取りはなったタイプや、レンズの面積を小さくしたタイプなど、頻繁にデザインを変えています。

ブランド名は公表されていませんが、おそらくブランドよりもその機能にこだわっていたようです。

捕手というポジション柄、常にキャッチャーマスクを着用、またプレー中に頻繁にそのマスクを脱ぎ捨てることもあって、プレーに支障がない野球専用のメガネの開発も行いました。

EYEMETRICS(アイメトリクス)などの眼鏡ブランドの企業も、古田敦也選手を広告塔とし、オーダーメードメガネの発売を行っています。

もはやプロ野球だけでなく、世間一般にもメガネの代名詞として古田敦也選手が取り上げられるようになります。

古田敦也選手自身がブランドになったということですね。



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古田敦也のメガネのブランド【まとめ】

古田敦也選手の野球人生を振り返ると、メガネとの関係は欠かせません。

古田敦也選手が入団する前に長年捕手として活躍した八重樫幸雄選手もメガネをかけていましたが、打席ではフレームなどの関係で球が見えにくく、あの独特のバッティングフォームが生まれたというエピソードがあります。

メガネというのはそれほどまでにプレーに影響を与えるものなのですね。

そのメガネを大きな武器とし、プロ野球史に残る名捕手となった古田敦也選手。

現在はタレントとして多くのテレビ番組に出演する古田敦也さん、シックで洗練された今のメガネもとてもお似合いです。

今でも様々な影響力を誇る古田敦也さん。

その成績だけでなく、野球人生のパートナーであるメガネについても、これから伝説となっていくことでしょう。