節分の昔の風習はどんなだった?現代との違いを探る!

節分で思い浮かべる風習は?と聞かれると、多くの人が「豆まき」と答えるのではないでしょうか。

ところが、最近の子ども達に聞くと、豆まきに負けず劣らず「恵方巻きを食べる!」と答える子が増えてきました。

豆まきは片付けが大変、共働きだから豆まきする時間の余裕がない、などの理由からか家庭では行わないというのが理由の1つでしょう。


恵方巻きならスーパーで買って食べるだけなので、忙しいお父さんお母さんの夕飯の準備に助かりますからね。

時代とともに、節分の風習も変わってきているのでしょうか。

そこで今回は、節分の昔の風習はどのようなものだったのか、現代との違いと比較しながら探ってみようと思います!



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節分の昔の風習はこうだった!

季節の変わり目である「節分」は、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指すため、年に4回あります。

中でも、旧暦で一年の始まりとされる2月に訪れる立春の前日は特に大切にされてきたことから、節分の行事が生まれたと言われています。

その行事の中の1つが「豆まき」です。

邪気(悪いもの)を祓い、福(幸運)が訪れるようにと願い、「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまきます。

昔は豆に限らず、穀物をまくこともあったようです。

また、豆をまくのは家長の役で、年男と年女(その年の干支生まれの年齢の者)も吉とされ豆をまくことを許されていました。

もう1つ主流だったのが、玄関にヒイラギの葉と鰯の頭を飾ることです。

この風習は平安時代からあったとも言われています。

ヒイラギの葉のトゲが目に刺さることと、鰯の頭の悪臭を鬼が嫌がって逃げるという意味合いがあるようです。

節分の現代の風習はこうなった!

現代でも豆まきの風習もヒイラギの葉と鰯の頭を飾る風習も残っています。

ただ、時代を超えて変化もあるようです。

例えば豆まきは、家長である父親や母親などの大人が鬼の面をつけて逃げ回り、子どもが豆をまくというパターンが多いのではないでしょうか。

また、悪臭は鰯の頭に限らず、ニンニクやネギなどを飾るという地域もあるようです。

そして何より「恵方巻きを食べる」という風習が加わったこと。

江戸時代末から明治時代あたりから、大阪方面で商売繁盛を祈願しながら節分を祝う行いとして商人が太巻き寿司を食べるという習慣はあったとはいえ、全国的に浸透したのは1980年代後半に広島のコンビニエンスストアが「恵方巻き」として展開を始めたことがきっかけです。

まさしく「現代の節分の風習」ですね。


今も昔も節分の由来は大切に!

豆まきや玄関飾りは鬼に見立てたあらゆる災いを祓い、幸福が舞い込むようにと祈ることから始まったもの。

恵方巻きは無病息災を祈り、その願いが叶うようにと縁起の良い方向を向いて食べます。

どちらも、季節の変わり目の大切な日に一年の幸を祈願するという想いは同じです。

ただ単に「節分の日だから豆をまく」「節分の日にスーパーにたくさん並んでいるから恵方巻きを食べる」ということではなく、その由来をしっかりと理解した上で、行事を楽しみましょう。




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節分の昔の風習はどんなだった?【まとめ】

いかがでしたか?

今回は節分の昔の風習はどんなだったかについて解説しました!


節分に関する記事をまとめていて感じたのですが、節分の行事に限らず、一年を通して行われる様々な行事に関して、ただなんとなく世間が騒いでいるからと流されてこなしているだけだったと気づかされました。

節分や節句、地域のお祭り、お正月や七夕、そして西洋からやってきたハロウィンやクリスマスなどなど。

一年間にたくさんのイベントがありますが、楽しいという感情ばかりが優先されていました。

ですが、その由来もしっかりと意識すると、もっともっと素敵な一年を過ごせるような気がしますね。